ぴんぽーん。
「はいよー」
チャイムが鳴って、俺はバタバタと玄関へ急いだ。親が居ないから俺が出なきゃならない、というだけではなくて、俺の客であることが分かっていたからだ。
「よぉ、お疲れさん、魅音」
「ホントだよもう、疲れたよーーぉ」
玄関を開けるとそこにいたのは予想通り、魅音だった。疲れ切った表情で、両手には大きな買い物袋。俺が頼んだ買い物だ。
「しょうがないだろ? 罰ゲームなんだからさ」
「そりゃもちろん分かってるよ。でも疲れたものは疲れたの!」
どさっと、魅音は玄関先に買い物袋を置いた。俺はお袋に頼まれていた買い物メモを取り出して、中身を確認する。…えーっと、うん、全部ある…よな?
俺には理解できない注意書きもされていたメモは、買ってきてくれたものを見てもよく分からなかった。魅音のことだから、ズルをしてるとかはないだろうが。
…と、確認する俺をじっと見つめる視線があることに気づく。
「な、なんだよ?」
「いや、圭ちゃん、本当に分かってるのかなぁ、と」
「……魅音。これを冷蔵庫に仕舞うの、手伝ってくれ。手伝ってくれたら、疲れた魅音に冷たいお茶を入れてやる」
「圭ちゃんにそう言われちゃぁ、しょうがないなー。手伝ってあげる♪」
妙に楽しげに、魅音はいそいそと靴を脱いで玄関に上がった。
…そういえば、我が家に魅音を入れるのは初めてじゃないだろうか。初めて入る人の家って、楽しいよな。うちは見かけはでかいし、探険のし甲斐もあるってものだろう。…うん、たぶん、そんな理由だ。俺はそれとはまた別の理由で、ちょっとドキドキしてたりするが。
「で、圭ちゃん、台所はどっち?」
「あぁ、そっちで合ってるぞ」
俺と魅音は買い物袋をひとつずつ持って、台所へ向かった。
買い物の中身の確認は魅音に手伝ってもらって、順調に終わった。冷蔵庫や棚に仕舞うのも、人の家だというのに何故か魅音には定位置が分かるらしく、あっという間に終わる。…恐るべし、園崎魅音。
最後に魅音が買い物袋から取り出したのは、台所用品ではなかった。小さいが重そうな紙箱だ。上部に持ち手が付いている。
「はい、これで最後。洗濯石けん・無香料ね。圭ちゃんのおばさまって、石けん派なんだねー」
「…石けん派?」
「これ、洗濯機用の石けんだよ。石けんだと石けんカスがたくさん出るから大変でしょ? だから最近じゃぁ、洗濯機用の液体化学洗剤が主流なの」
「ふーん?」
「ま、化学洗剤なんて、何が含まれてるか分かんないからねぇ。洗濯石けん、しかも無香料となると、おばさま、自然主義なのかな」
魅音は一人でうんうんと頷いている。…俺にはよく分からないが。
とにかくそれで最後なので、俺は食器棚からコップを2つ出すと、冷蔵庫でよく冷やした麦茶を注いだ。ひとつを魅音に手渡す。
「ほい、魅音」
「ありがと。疲れた後のこの一杯がおいしいんだよねー」
「…それ、ただの麦茶だぞ」
まるで仕事の後のビールを飲んでいるかのような魅音の台詞にツッコミを入れながら、俺は自分の分を飲み干す。
「でも、おかげで早く終わったよ。さんきゅーな」
「へへーん。こんなのおじさんにかかれば軽いもんだよ」
魅音はちょっと自慢げに胸を張る。…そういう仕草が、すごく魅音らしい。
「じゃ、俺はこれ、洗濯機の横にでも置いてくるから。のんびりしててくれ」
「はーい。いってらっしゃーい」
魅音は返事をして、物珍しそうにきょろきょろと部屋の中を見ていた。…まぁ台所や居間はいつもそれなりに片付いてるし、多少漁られたところで大丈夫だろう。
我が家の洗濯機は、風呂場の脱衣所にある。風呂のお湯を再利用するとかで、その位置なのだ。脱いだものをそのまま置いておけばいいので、俺にとっても楽な配置だった。
えーっと、たしかこの棚に洗剤を入れていたはず…、…お、ここかな。
もうほとんどカラになっている「洗濯石けん・無香料」を見つけて、その隣に新しいのを置く。…無香料って言うからには、香料付きのもあるんだろうな。俺が買い物に行ってたら、間違ってそっちを買ってそうだ。魅音に行ってもらえて助かった。
…罰ゲームだから魅音に全部任せちゃったけど、本当は、魅音一人に任すんじゃなくて……、
そのとき、廊下の向こうから魅音の声が聞こえた。
「圭ちゃーん。圭ちゃんの部屋って、2階ー?」
「あぁ、そうだけど…、…って、おい、まさか…!」
反射的に大声で言い返してしまって、途中で気づく。あの悪戯好きの魅音が、俺んちに来て一人待たされて、何もしないなんてことあるわけない…!!
俺は慌てて廊下を疾走し、居間に戻る。ぐるりと見回したが、魅音は居ない。階段の方を振り返ると、ちょうど魅音が階段をそろそろと上り、2階へ辿り着こうとしているところだった。
「まっ、待て、魅音! 2階へは行くな!」
「やーだよー。私を一人にした圭ちゃんが迂闊だったね!」
「確かに俺もそう思うが、俺の部屋には入るな! きっ、汚いから! 片付けとかしてなくてすげぇ汚いから!!」
「くっくっく、上等上等。ベッドの下とか押し入れの中とかは見ないからさ~」
思春期の少年がアレなものを隠しているお決まりの場所を告げて、魅音が嫌らしそうに笑う。
いやっ、そんな場所じゃなくて、もう部屋の襖を開けた瞬間に見える場所にやばいものがあるんだよ!!
本当に迂闊だった! 魅音に買い物を頼むという罰ゲームが決まった瞬間に、アレを片付けておくんだった…!!
やばい、絶対やばい。アレを見られたら、言い訳なんか出来ない。だが魅音は既に階段の上で、2階の廊下に足を付けている。俺の部屋は2階に上がってすぐの部屋だ。そして俺はまだ1階。
…間に合わない…!?!
「魅音、頼む! 一生のお願いだ! その襖を開けないでくれ!!」
「あ、圭ちゃんの部屋、ここなんだ? そう言われちゃぁ、開けないわけにはいかないよねぇ~」
ぐぁぁあ、しまったぁぁあ?!
魅音はわくわくした表情で、襖の戸口に手をかけた。
俺はようやく階段を駆け上って2階に辿り着く。が。その時にはもう魅音は戸を開け放って、俺の部屋の中をきょろきょろと見回していた。
…もうダメだ。バレてしまう…!!
「まー確かに片付いてはないけど、圭ちゃんがそんなに慌てるほどじゃぁ…、…あれ?」
魅音の声が、止まる。視線は、案の定、俺が勉強机に使っているテーブルの向こうの壁だった。
…あぁぁあああ。バレた。もう死にたい。ていうか死ぬ。
よりにもよって、魅音に見つかるなんて…!!
「…圭ちゃん、壁にたくさん貼ってあるあの写真、何?」
魅音がひょいと俺を振り返った。…俺は何も答えられない。
答えない俺に首を傾げて、魅音は部屋の中に入ると、机の前に立って、じーっと、壁に貼りまくっているその写真たちを見つめた。お、お願いだから見ないでくれぇ…。
「…これ、私たちの写真…だよね。服装とか背景とかから考えるに、2月か3月くらい? なんでこんなの持ってんの?」
それらの写真の、とある共通項には、魅音はまだ気づいていないようだった。それよりも、何故、俺が引っ越してくるよりも前の部活メンバーの写真を俺が持っているかの方が疑問だったらしい。
…魅音が鈍感で助かった。内心で胸を撫で下ろすが、安心は出来ない。だって、パッと見たら分かることなんだよ、その共通項は。あぁぁ、俺、もう死んだ。
俺が相変わらず魅音の疑問に答えないので、魅音はじっと写真を見つめ直した。…て、適当なことを答えて気を逸らした方がよかったか…?
「…ねぇ、圭ちゃん」
「な、なんだよ」
「気のせいかもしれないんだけど、…その、私が写ってる写真ばっかり貼ってない…?」
……気づかれた。
その人に会ったのは、先日、たまたま一人になった帰り道だった。
雛見沢では見慣れない、少しガタイのいい男性。道ばたに自転車を止めて、カメラ片手に、木に留まっている野鳥をじっと見つめていた。
ふと目が合ったので軽く会釈すると、向こうから声をかけてきたのだ。
「やぁ、こんにちは。君は雛見沢の人かい?」
「そうですけど…。どちらさまです?」
「僕は富竹。フリーのカメラマンさ。雛見沢にはよく来るんだけど、君とは初めて会うよね」
「…まぁ、最近引っ越してきたところなので」
「そうなのかい! 住んでる人に言うのもなんだけど、雛見沢はいいところだよ。移り変わる自然が綺麗でねぇ、何回来ても飽きないよ。いつも違う顔を見せてくれる」
富竹と名乗ったその人は、嬉しそうに語った。
最初は妙に馴れ馴れしい人だな、と思ったんだが。雛見沢の良さを分かってる人に悪い人はいないよな、と思ったんだ。
「…写真家さんなんですか?」
「写真家を目指して投稿を繰り返してると言った方が正しいんだけどね、あっはっは。主に野鳥や自然を撮ってるよ」
じゃぁ、雛見沢の素晴らしい自然とか、そういうのを撮っているんだろうな。俺はまだここに来て一ヶ月も経っていないから、この初夏しか知らないけれど。
…ふと、疑問に思って聞いてみる。
「人間は撮らないんですか?」
「そんなことはないよ。ここに来た記念に、出会った人たちの写真を撮って、次に来るときに渡したりしてる。…あぁ、魅音ちゃんとかレナちゃんとか、知ってるかな?」
「えぇ、分校のクラスメイトですから」
「ちょうど今、前回来たときの写真を持ってるんだよ。会ったときに渡そうと思ってね。ほら」
富竹さんはバッグから小さなファイルを取り出した。カメラ屋さんで現像したときにくれる、小さいアルバムだ。
手渡されたそれをパラパラとめくると、部活メンバーや村の子供たちや老人たちの写った写真が入っていた。季節は冬、なんだろうか。背景は真っ白で、どこで撮った写真なのか全然分からない。
「前に来た時って、冬なんですか?」
「東京じゃぁもうそれなりに暖かい頃なんだけどねぇ。雛見沢は豪雪地帯だから、雪ばっかりだろう?」
そう言いながらも、富竹さんはこれはどこだとか嬉しそうに解説してくれた。本当に、雛見沢が好きなんだな。
めくっていくと、部活メンバーが、おそらく部活をしてるのだろう、楽しげにはしゃいでいる写真もあった。魅音が雪玉を当てられて、それでも楽しそうに笑っている。
「…あの、富竹さん。この写真、皆に渡すんですか?」
「うん、そのつもりだけど?」
「……あのー、1枚だけ、もらえないですかね」
「え? いいけど、どれだい?」
富竹さんが不思議そうに聞いてくる。…そりゃ、自分の写ってない、他人ばっかり写ってる写真なんて、普通はくれとは言わないよな。
「…その、それ…」
指差したのはさっきの、雪玉を当てられて、それでも笑ってる魅音のアップの写真だった。
写真を示す指先が震える。顔は真っ赤になってるかもしれない。…それでも、その眩しい笑顔の魅音の写真が、欲しかった。
富竹さんは一瞬きょとんとしたが、俺の顔を見るとニヤニヤと笑った。
「あぁ、なんだ、そういうことかい? じゃぁ魅音ちゃんが写ってるの、全部あげるよ。皆には、今回は忘れてきたって言っておくからさ」
「…え?! あの…!」
「いいからいいから。皆には次に来たときに渡せばいいけど、君には今必要なものだろう? 何かイベントがない限り、クラスメイトと写真なんて撮らないからねぇ」
富竹さんはアルバムの中から魅音が写っているものを順に取り出して、ひょいひょいと俺に手渡していく。俺は自分の言葉が引き起こしたこの事態に付いていけなくて、顔を真っ赤にしたまま固まっていた。
「はい、これで全部かな」
「あ、ああありがとうございます…!」
俺の手に渡されたのは、全部で10枚もない。せいぜい5~6枚だ。それでも、初めて手に入れた魅音の写真だった。
「そうだ、君の名前は?」
「ま、前原圭一です」
「圭一くんか。うまくいくといいね。じゃ、また」
「富竹さん! ありがとうございました!」
俺は自転車で去っていく富竹さんの後ろ姿に、頭を下げた。
「…と、いうわけだ」
何故自分の机の前の壁に魅音の写真ばっかり貼ってるのか、俺はなんとか説明し終えた。多分、顔は真っ赤になってるだろう。
…あぁ、こんなことで言う羽目になるなんて思わなかった。まさか俺が魅音をそんなふうに想ってるなんて、思ってもなかっただろうな。なんて言われるだろう。あきれられるだろうか。
魅音は説明を聞き終わってもまだ混乱しているようで、しばらく呆然としていた。
「……え、えぇっと、じゃぁ、富竹さんが今回現像持ってくるの忘れたって言ってたのは、嘘で…、…私の写真は全部圭ちゃんが持ってて、ここに貼られてる…?」
「…そうだよ」
「な、なななななんで?!」
なんで、と来るとは思わなかった。それも全部口に出して説明しろと言うのだろうか。今の段階で、もう顔から火を噴きそうなほどの恥ずかしさで死にそうなんだが。
「…お前なぁ、そんなもん、理由なんて一個しかないだろ?」
「えっ、えぇっと、圭ちゃんはポニーテールフェチの変態だったとか!」
「違う!!!」
ワケの分からないことを言い出した魅音に、全力で否定する。そんなわけないだろう! お前だから、お前の写真だからだよ…!!
それで魅音はようやく「理由」を分かってくれたのか、ぼん、と真っ赤になった。ばたばたと両腕を上下させて暴れる。
「ぅえぇぇええ?! だ、だだだだって…!」
「…別に返事はいいよ。バレたのは不慮の事故だし。直接言う気はまだなかったし。ここで見たことは忘れてくれていいから」
毎日一緒に登校して、遊んで、一緒に帰る。それだけで満足していたんだ。
それなのに偶然、幸運にも君の写真を手にすることが出来た。
こうやって壁に写真を貼って、…家に帰ってからも、宿題をするためにノートを広げるたびに君を見つめられる。変かもしれないけれど、それだけでじゅうぶん幸せだった。
だって、出会ってから、まだほんの何週間かで。告げるにはきっと早すぎる。それに、今のこの関係が壊れてしまうのが怖くて、そんな勇気も出なかった。俺は、弱虫なんだよ。
…だから、こうやって不意に告げる羽目になってしまって、魅音がどう返してくるのか、怖かった。嫌われたらどうしよう、友達ですらいられなくなったらどうしよう。そんなマイナスなことばかりが脳裏に浮かぶ。それならいっそ、無かったことにする方がいい。…だから、忘れてくれていいなんて、情けない台詞が口から出た。
「…で、でも…」
魅音は両手を体の前で合わせて、俯く。「でも」だなんて、何に対する逆接なのか。…怖い。手が汗ばむ。膝がわらう。泣きそうになるのは、なんとか堪えた。
「……ごめん。勝手にお前の写真、べたべた貼っててさ。…気持ち悪いよな。外すよ」
「じゃなくて、その…、えっと…」
「気に障ったんなら、これ、返すから。本当にごめん」
「…ち、違…」
壁に貼った写真を取ろうとしたとき、魅音がきゅっと、俺のシャツを引っ張った。
「な、なんだよ?」
俺は振り返って、魅音を見る。
魅音は俯いたままだったが、意を決したように、か細い声を振り絞った。
「…け、圭ちゃん。…あの、そ、その私の写真は、圭ちゃんが持っててくれていい…、ううん、持ってて欲しい、な…」
「……………え?」
「だ、だから、こ、今度、富竹さんに写真撮ってもらってよ…。…げ、現像できたら、私、それ、もらうから…」
俺が何故魅音の写真を持っているのか分かっていて、それでもなおかつ持ってて欲しいって、…いや待て、今、魅音は、俺の写真が欲しいって……。…えっと、それって、つまり…。
「…………魅音、それ、…返事…?」
呆然と呟いた俺に、魅音は顔を上げて、真っ赤な顔のまま、こくんと頷いた。
膝の力がかくんと抜けて、俺はその場にへたり込む。目に涙が滲んだ。
「あ、あはははははは」
マジかよ。やべぇ。嬉しい。なんで、こんな、出会ってからたった数週間で。最高の日が?
いきなり気の抜けた俺を、魅音がおろおろと様子を窺ってくる。
「け、圭ちゃん? どしたの、大丈夫? そ、それとも私何か変だった?」
へたり込んだ俺の目線に合わせて魅音もしゃがむと、俺の顔を覗き込んできた。
毎日会ってたけど、家に帰ってからもずっと見つめ続けていた、魅音の顔が。少し手を伸ばせば届くほど、すぐ近くにあった。
…あぁ。これ、夢じゃないよな?
それを確認したくて、俺は手を伸ばして、魅音の頬に触れる。…途端に、魅音が沸騰した。
「け、け、け、けいちゃん?!」
「はは、夢じゃない、本物の魅音だ…」
もう一方の手も伸ばして、両手で魅音の頬を包み込んだ。柔らかくてあたたかい。…宗教なんて、信じてないけど。もし神様がいるのなら。今は感謝しよう。魅音と出会えたことを。
その魅音は俺が頬に触れた体勢のまま、固まっていた。顔は真っ赤で、はは、ゆでだこみたいだ。たぶん人のこと言えないけどさ。
こんな間近に君と二人で居られて、今日はなんて素敵な日なんだろう。
「…ありがとう、魅音」
その言葉に、魅音も感極まったかのように涙目になって、それから、ふわっと、笑った。…あぁ、この笑顔も、写真に納めておきたい。ずっと、大事にしておきたい。
「カメラが欲しいな」
「…え?」
「今の、魅音の笑顔。記憶だけにとどめるには、もったいなさすぎるよ。ちゃんと保存しておきたい」
「…………っ」
魅音がまた固まる。…照れてるのかな。今まで、皆の前ではこんなに狼狽えているところは見たことがない。初めて見る魅音だった。
…あぁ、こんな魅音が見れるのなら。バレて良かった。…受け入れてもらえて、本当に良かった。
「前に一緒に虹見たときもさ、思ったんだ。カメラがあればな、って」
あのとき既に、俺の心は魅音に奪われっぱなしだった。ほんのわずかな時間だけど魅音と二人で居られて、いつもより少しだけ魅音が近くて、…そんな時間が終わってしまうのが惜しかった。だから精一杯の勇気を振り絞って、なんでもないフリをして手を取ったんだ。
それ以上のことなんて、とてもできなかったけれど。それでも二人だけで見た虹は、忘れたくなかった。俺と魅音の、二人だけの記憶だから。
「…ぁ。わ、私も思った…」
ぽそっと、魅音が小さな声で呟く。同じことを思っていたと分かって、心が躍る。次に思ったときは、思うだけでは終わらせたくない。
「じゃぁ、今度買うよ。そんなにいいものじゃなくてもいいから、小遣いをはたけば何かは買えるだろ。そうしたら一番に魅音を撮るよ」
「う、うん」
「タイマー機能を使ってさ、一緒に写ろう」
「うん…!」
魅音が、最高の笑顔で笑う。今はまだカメラはないけれど。心のカメラに刻みつけよう。きっと、一生忘れない。今日が俺と魅音の、はじまりの記念日だから。
俺は魅音の頬に触れていた手を更に伸ばして、この手の中に君を収めた。
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09.2.7 加筆修正しました